パン・デ・デューの〈視点〉を探れ!(旧)

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ブログ記事も「片付け」
突然ですが、私はブログの過去記事も、時々ざっと見直して思い切って「切り捨て」ます。

普通「カテゴリー分類し直し」はやるけど、意外と「削除」(どうしてもできなければ非公開設定)まではあまりしないのでは?

でも放っておくとブログは、「その時は勢い込んで書いても、時間が経つと価値が無い記事」や「考え方が変わって“今”のセルフイメージに合わなくなった記事」等も溜まる一方。

時々、『カテゴリーもシンプルで、それぞれの記事数も最小限で、ある時点で更新が止まってる(というか、それだけの情報量を公開するのが目的の)スッキリしたブログ』を見かけますが、内容が深ければ、逆に「そういえば良い事が書いてあったな。どれどれ思い出す為にもう一度。」なんて度々訪れてしまいます。

まぁこれは極端な例だし、ブログの目的も十人十色なので一概には言えませんが、私は極力「リアルタイムの自分達に近いもの」や「永久保存版にしておきたい厳選されたもの(あくまで自分基準で、ですが)」のみが常時 UP されているよう留意したいと思ってます。(「量より質」かな、と。)

人は皆忙しいし、よほど興味が無ければ(or よほど興味深い内容でなければ)そうそう過去記事まで見ないのが現実じゃないかな?(自分でさえそうだし)しかも星の数ほどブログが溢れてる今の世、やたらな情報をいたずらに放置してもなぁ・・・なんて思ったり。逆に「これは」と思う記事こそがすぐ目に留まるよう、「贅肉」はそぎ落としておいた方が良いですよね。使いたい「物」が使いたい時にサッと取り出せるように。

誰もが安易に情報発信でき、世界のどこにいてもそれを受信できるネット社会。便利な反面「活字の雑音」も氾濫してるような・・・。静寂に耳を傾け、必要な情報だけアクセスして、それこそ「無形」である「自分の内なる声」(=直感のお告げ?)をキャッチするアンテナ(センサー)も磨きたい、、、と自分が思うから余計に、時々「切り捨て」をしたくなります。(そう言いながら、伝えたい事は色々あるのだけど(笑))

このブログの場合、特に《 Coffee-Break Topics 》のカテゴリーは「切り捨て」の対象になり易いかも。記事数 100 超えたみたいだし、そろそろチェックしなきゃ。
01:54 | ★ 芸術以外の真面目な話 | comments(0) | trackbacks(0)| - |
「演奏」って何のため?
私のピアニスト友達に「中村力哉さん」という人がいます。

5〜6年前、船の仕事で知り合い、偶然「学年」が同じ(私は早生まれ)だったため「同級生」感覚でおつきあいさせていただいておりますが、なんというか「音楽に対する姿勢」みたいなのが共通しているのか、中村さんのブログに時々お邪魔すると、「言葉にしにくいながらも私が常に漠然と抱えてる思い」なるものを、ドンピシャリと代弁してくれていて「お”ーーーひらめき」と思う事がよくあります。(←絵文字初使用)

『演奏って「伝えるため?」or「内省的な祈り?」・・・・・・
個人差もあるだろうし、音楽の種類や、演奏の形態によっても度合いが変わるだろうけれど・・・???』

今回もそんな最近のモヤモヤをタイムリーにスッキリさせてくれた記事をみつけましたので、ご紹介させていただきます。少し長いですが、是非、記事下のコメントやりとり(書き込み主は私)含めて、お読み下さい。(演奏経験のある全ての人に興味深いんじゃないかな、と勝手ながら・・・。)『伝えるということ
17:13 | ★ 芸術家らしい真面目な話 | comments(3) | trackbacks(0)| - |
「片付け」は深いぞ
前の記事に「ついでに工事しなかった他の部屋までいじくりたくなる」と書きましたが、実際は「いじくらざるを得なくなる」というのもあります。

「リアルタイムの生活動線も考慮に入れて新たな視点で物を分類&収納し直す」という事は、今まで「コレはココが最適」とかたくなに思い込んでた事をくつがえす事にもなり、、、しかも時間の経過と共にその「物」達の収納スペースもそぐわなくなってくる・・・そうすると、結局「コレはアッチの方が良いな。そうするとアレをどけてココに持ってこなきゃ。じゃ、ソレはどうしよう。そもそもソレは必要か?」と、「一難去ってまた一難」という具合に、始めたら最後、家中がパズル状態となり、適当な所でやめたくてもやめられなくなるのです。

正に・・・右脳・左脳・体力・知力・意志力・決断力・・・フル稼働。「たかが片付け」ですが、「過去・現在・未来」さらには「自分の亡き後」にまで同時に、冷静な思いを馳せることにもなります。

一番収納に困るのは「無くても生活には何の支障も無いけど、思い入れがあってどうしても捨てられない」「他の人にはゴミ同然だけど自分にとっては“かけがえがない”」という『思い出の品』(人生の「その時」を象徴する代表品とでも言うか)。それでも「あの世」にまで持って行けないし、残された人も扱いに困るだろうし、過去に生きてもしょうがないし、肝心なのは「物」じゃないし、、、と、最小限に厳選し、リビングのチェストの引き出し幾つかを、時期別に分けた「そういう物」達の専用にしました。(さすがに初恋時代の日記???なるものは、棺桶に持って入りたい位こっぱずかしいのでシュレッダーにかけて葬りました。・・・これでいつでも死ねる・・・(笑))

考えてみれば「物」って何なんでしょうね。街へ出ると「物」が溢れ返っている先進国。「物」があればあるほど執着心が湧き「心」が不自由に縛られる。仏道に「捨てる行」ってあるのも、なんとなく分かる様な。でも先進国じゃなくても、とにかく「この世」は無形の「精神」「魂」「気」等と、有形の「物」から成っていて、人間はその狭間で折り合いつけながら生きている(自分の身体だって「物質」だし)。生きている以上、有り過ぎても無さ過ぎても困る「物」。その「物」のあり方、それによる「心」の持ち方・・・によって、「物」は敵にも味方にもなるってか?現に私は今、「物」の扱いに右往左往しながら、それに伴う「心」まで右往左往してる。「物」と「心」の丁度良いあんばいの現世でのつきあい方って? ....etc etc....

・・・「割烹着と軍手」姿で雑巾片手にホコリまみれになりながら、そんな事まで哲学(ていうのか?)しちゃってる私なのであります。「片付け」って深いのだ。
12:50 | ★ 芸術以外の真面目な話 | comments(2) | trackbacks(0)| - |
ロシア人の帽子かよ・・・
ウォルティ顔ブレて失敗作(NG)だから「載せまい」と思ってたけど載せちゃお(本人了承済み)、昨日のその後の流れ・・・。

↓ マウスをみつめるナマコ。
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↓ 「なんだ本物の“マウス”じゃないや」と、見切りをつけ(???)立ち上がり・・・
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↓ 反対側(ウォルティ左手側)へ行き、背を向けて丸くうずくまる。
(わかるかな?尻尾垂れ下がって「ロシア人の帽子」状態・・・。)
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・・・して、その心は???・・・「えーーん、お腹空いたよ、ウォルぅ。。。」

そう。「秘書」やら「ロシア人の帽子」やら、、、ドォーでもよいのだ、んニャこたぁ。
09:34 | 《 Our Cat 》 | comments(0) | trackbacks(0)| - |
秘書かい・・・
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暗い中、遠くから望遠で気付かれない様にあわてて撮ったのでボケボケですが、PC 画面眺めながらマウス握るウォルティの右手側に愛猫ナマコが鎮座してるのわかります?

多少位置変えたりポーズ変えたりしながらも2時間位この状態でした。この位置からマウスの動きをずっと見守ってる時もあれば(“マウス”なだけに?)、膝の上に乗って画面一緒に覗いてる時もありました。

・・・・・人間のつもりかい・・・・・。

(ホントは「邪魔したくないけど、お腹空いた」というのを、さりげなくアピールしてるつもり。)
08:22 | 《 Our Cat 》 | comments(2) | trackbacks(0)| - |