2010.11.28 Sunday
突然ですが、私はブログの過去記事も、時々ざっと見直して思い切って「切り捨て」ます。
普通「カテゴリー分類し直し」はやるけど、意外と「削除」(どうしてもできなければ非公開設定)まではあまりしないのでは?
でも放っておくとブログは、「その時は勢い込んで書いても、時間が経つと価値が無い記事」や「考え方が変わって“今”のセルフイメージに合わなくなった記事」等も溜まる一方。
時々、『カテゴリーもシンプルで、それぞれの記事数も最小限で、ある時点で更新が止まってる(というか、それだけの情報量を公開するのが目的の)スッキリしたブログ』を見かけますが、内容が深ければ、逆に「そういえば良い事が書いてあったな。どれどれ思い出す為にもう一度。」なんて度々訪れてしまいます。
まぁこれは極端な例だし、ブログの目的も十人十色なので一概には言えませんが、私は極力「リアルタイムの自分達に近いもの」や「永久保存版にしておきたい厳選されたもの(あくまで自分基準で、ですが)」のみが常時 UP されているよう留意したいと思ってます。(「量より質」かな、と。)
人は皆忙しいし、よほど興味が無ければ(or よほど興味深い内容でなければ)そうそう過去記事まで見ないのが現実じゃないかな?(自分でさえそうだし)しかも星の数ほどブログが溢れてる今の世、やたらな情報をいたずらに放置してもなぁ・・・なんて思ったり。逆に「これは」と思う記事こそがすぐ目に留まるよう、「贅肉」はそぎ落としておいた方が良いですよね。使いたい「物」が使いたい時にサッと取り出せるように。
誰もが安易に情報発信でき、世界のどこにいてもそれを受信できるネット社会。便利な反面「活字の雑音」も氾濫してるような・・・。静寂に耳を傾け、必要な情報だけアクセスして、それこそ「無形」である「自分の内なる声」(=直感のお告げ?)をキャッチするアンテナ(センサー)も磨きたい、、、と自分が思うから余計に、時々「切り捨て」をしたくなります。(そう言いながら、伝えたい事は色々あるのだけど(笑))
このブログの場合、特に《 Coffee-Break Topics 》のカテゴリーは「切り捨て」の対象になり易いかも。記事数 100 超えたみたいだし、そろそろチェックしなきゃ。
普通「カテゴリー分類し直し」はやるけど、意外と「削除」(どうしてもできなければ非公開設定)まではあまりしないのでは?
でも放っておくとブログは、「その時は勢い込んで書いても、時間が経つと価値が無い記事」や「考え方が変わって“今”のセルフイメージに合わなくなった記事」等も溜まる一方。
時々、『カテゴリーもシンプルで、それぞれの記事数も最小限で、ある時点で更新が止まってる(というか、それだけの情報量を公開するのが目的の)スッキリしたブログ』を見かけますが、内容が深ければ、逆に「そういえば良い事が書いてあったな。どれどれ思い出す為にもう一度。」なんて度々訪れてしまいます。
まぁこれは極端な例だし、ブログの目的も十人十色なので一概には言えませんが、私は極力「リアルタイムの自分達に近いもの」や「永久保存版にしておきたい厳選されたもの(あくまで自分基準で、ですが)」のみが常時 UP されているよう留意したいと思ってます。(「量より質」かな、と。)
人は皆忙しいし、よほど興味が無ければ(or よほど興味深い内容でなければ)そうそう過去記事まで見ないのが現実じゃないかな?(自分でさえそうだし)しかも星の数ほどブログが溢れてる今の世、やたらな情報をいたずらに放置してもなぁ・・・なんて思ったり。逆に「これは」と思う記事こそがすぐ目に留まるよう、「贅肉」はそぎ落としておいた方が良いですよね。使いたい「物」が使いたい時にサッと取り出せるように。
誰もが安易に情報発信でき、世界のどこにいてもそれを受信できるネット社会。便利な反面「活字の雑音」も氾濫してるような・・・。静寂に耳を傾け、必要な情報だけアクセスして、それこそ「無形」である「自分の内なる声」(=直感のお告げ?)をキャッチするアンテナ(センサー)も磨きたい、、、と自分が思うから余計に、時々「切り捨て」をしたくなります。(そう言いながら、伝えたい事は色々あるのだけど(笑))
このブログの場合、特に《 Coffee-Break Topics 》のカテゴリーは「切り捨て」の対象になり易いかも。記事数 100 超えたみたいだし、そろそろチェックしなきゃ。