2010.11.21 Sunday
前の記事に「ついでに工事しなかった他の部屋までいじくりたくなる」と書きましたが、実際は「いじくらざるを得なくなる」というのもあります。
「リアルタイムの生活動線も考慮に入れて新たな視点で物を分類&収納し直す」という事は、今まで「コレはココが最適」とかたくなに思い込んでた事をくつがえす事にもなり、、、しかも時間の経過と共にその「物」達の収納スペースもそぐわなくなってくる・・・そうすると、結局「コレはアッチの方が良いな。そうするとアレをどけてココに持ってこなきゃ。じゃ、ソレはどうしよう。そもそもソレは必要か?」と、「一難去ってまた一難」という具合に、始めたら最後、家中がパズル状態となり、適当な所でやめたくてもやめられなくなるのです。
正に・・・右脳・左脳・体力・知力・意志力・決断力・・・フル稼働。「たかが片付け」ですが、「過去・現在・未来」さらには「自分の亡き後」にまで同時に、冷静な思いを馳せることにもなります。
一番収納に困るのは「無くても生活には何の支障も無いけど、思い入れがあってどうしても捨てられない」「他の人にはゴミ同然だけど自分にとっては“かけがえがない”」という『思い出の品』(人生の「その時」を象徴する代表品とでも言うか)。それでも「あの世」にまで持って行けないし、残された人も扱いに困るだろうし、過去に生きてもしょうがないし、肝心なのは「物」じゃないし、、、と、最小限に厳選し、リビングのチェストの引き出し幾つかを、時期別に分けた「そういう物」達の専用にしました。(さすがに初恋時代の日記???なるものは、棺桶に持って入りたい位こっぱずかしいのでシュレッダーにかけて葬りました。・・・これでいつでも死ねる・・・(笑))
考えてみれば「物」って何なんでしょうね。街へ出ると「物」が溢れ返っている先進国。「物」があればあるほど執着心が湧き「心」が不自由に縛られる。仏道に「捨てる行」ってあるのも、なんとなく分かる様な。でも先進国じゃなくても、とにかく「この世」は無形の「精神」「魂」「気」等と、有形の「物」から成っていて、人間はその狭間で折り合いつけながら生きている(自分の身体だって「物質」だし)。生きている以上、有り過ぎても無さ過ぎても困る「物」。その「物」のあり方、それによる「心」の持ち方・・・によって、「物」は敵にも味方にもなるってか?現に私は今、「物」の扱いに右往左往しながら、それに伴う「心」まで右往左往してる。「物」と「心」の丁度良いあんばいの現世でのつきあい方って? ....etc etc....
・・・「割烹着と軍手」姿で雑巾片手にホコリまみれになりながら、そんな事まで哲学(ていうのか?)しちゃってる私なのであります。「片付け」って深いのだ。
「リアルタイムの生活動線も考慮に入れて新たな視点で物を分類&収納し直す」という事は、今まで「コレはココが最適」とかたくなに思い込んでた事をくつがえす事にもなり、、、しかも時間の経過と共にその「物」達の収納スペースもそぐわなくなってくる・・・そうすると、結局「コレはアッチの方が良いな。そうするとアレをどけてココに持ってこなきゃ。じゃ、ソレはどうしよう。そもそもソレは必要か?」と、「一難去ってまた一難」という具合に、始めたら最後、家中がパズル状態となり、適当な所でやめたくてもやめられなくなるのです。
正に・・・右脳・左脳・体力・知力・意志力・決断力・・・フル稼働。「たかが片付け」ですが、「過去・現在・未来」さらには「自分の亡き後」にまで同時に、冷静な思いを馳せることにもなります。
一番収納に困るのは「無くても生活には何の支障も無いけど、思い入れがあってどうしても捨てられない」「他の人にはゴミ同然だけど自分にとっては“かけがえがない”」という『思い出の品』(人生の「その時」を象徴する代表品とでも言うか)。それでも「あの世」にまで持って行けないし、残された人も扱いに困るだろうし、過去に生きてもしょうがないし、肝心なのは「物」じゃないし、、、と、最小限に厳選し、リビングのチェストの引き出し幾つかを、時期別に分けた「そういう物」達の専用にしました。(さすがに初恋時代の日記???なるものは、棺桶に持って入りたい位こっぱずかしいのでシュレッダーにかけて葬りました。・・・これでいつでも死ねる・・・(笑))
考えてみれば「物」って何なんでしょうね。街へ出ると「物」が溢れ返っている先進国。「物」があればあるほど執着心が湧き「心」が不自由に縛られる。仏道に「捨てる行」ってあるのも、なんとなく分かる様な。でも先進国じゃなくても、とにかく「この世」は無形の「精神」「魂」「気」等と、有形の「物」から成っていて、人間はその狭間で折り合いつけながら生きている(自分の身体だって「物質」だし)。生きている以上、有り過ぎても無さ過ぎても困る「物」。その「物」のあり方、それによる「心」の持ち方・・・によって、「物」は敵にも味方にもなるってか?現に私は今、「物」の扱いに右往左往しながら、それに伴う「心」まで右往左往してる。「物」と「心」の丁度良いあんばいの現世でのつきあい方って? ....etc etc....
・・・「割烹着と軍手」姿で雑巾片手にホコリまみれになりながら、そんな事まで哲学(ていうのか?)しちゃってる私なのであります。「片付け」って深いのだ。