パン・デ・デューの〈視点〉を探れ!(旧)

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死に様は生き様
「死に様は生き様」と看護士の知人が語っていたのを思い出した。

今回ローザさんが旅立ったタイミングについて、2日というズレは実はちょっと悔しくもあり「最後の瞬間(とき)に立ち合ってあげられたらよかったなぁ」と、ちらっと思わなくもなかった。しかし、考えてみると、この状況下でこの2日後というのは正に絶妙なタイミングで、彼女の人となりも出ている様な気がする。

彼女はあくまで「息子に見送られる」のでなく、最後まで「日本に行く息子を自分が見送る」"母"でいたのだなあ、と思う。「来てくれただけで充分。後は大丈夫、1人で旅立てるから、あなたは日本でまたがんばりなさい。」そんな心の声が聞こえてくる。今まで何度となくやってきた「日本への見送り」をいつもどおりやりたかったのかもしれない(無意識であったとは思うが)。

そして、これがまた2日後でなくて1日後だったら、帰宅したばかりで報告を受ける彼はもっと悔しかったろうし、「長旅直後+時差ボケ」の身にも特にこたえる。あともう1日の時間的余裕があったという事は、受け止める側としても実はありがたい事だったのだ。ウォルティの心身疲労回復はもちろんのこと、彼から様子を直接聞いた私も現状を把握し、一緒に心構えを整える事も出来た。それ以上後になると、今度はまたどっちつかずで、近くで見守る人間にも、遠くで危惧する人間にも、精神衛生上よろしくない時間が増える。何より本人が辛いだろう。

自分のためにも周りのためにも「ここが引き際」とパッと去る・・・ローザさんらしいなあ・・・。

そういえば生前も、よく絶妙なタイミングで電話がかかってくる事があった。時差があるにも関わらず。「テレパシーじゃない?」と笑い合ったもんだ。

「死に様は生き様」・・・なるほど、こういうことかあ・・・。おぼろげながら、わかった気がする。

そして、もう1つ・・・「本当につながっている人とは、地球の裏側にいようがどこにいようが意識の潜在下でつながっている」・・・という事も、声を大にして付け加えておきたい。
12:05 | ★ 芸術以外の真面目な話 | comments(0) | trackbacks(0)| - |
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