2008.11.28 Friday
ローザさん、とは、ウォルティのお母さんです。26日、日本時間夜10時半頃、スイスの親戚から彼女が無事(?)永眠した、との報告が入りました。「無事永眠」とはなんとも変な話で不謹慎に聞こえますが、実際、彼女は癌の痛みから早く解放されたく(9月頭から介護施設に入ってたのですが)、「X'mas 前には眠りにつきたい」と周囲に話してたそうです。が、なかなか念願叶わず(??)、どっちつかずの逆に気の毒な状態がしばらく続いておりました。
しかし親戚の判断で「いよいよかもしれないから、今のうちに会っておいた方がよい」とウォルティが呼び出され、実は彼、仕事の合間を縫って、19日から5泊7日単身ひとっ飛びしてきてたのです。人の命・・・こればっかりは100%正確な予測はつかないので「今度こそ最後になるかもしれないお見送り」となんともはやな名目での出発でした。ウォルティが着く前に彼女が「その時」を迎えてしまうのか、向こうに居る間にそうなるのか、もしくは逆に、行って帰って来た後もしばらくお迎えが来ないのか・・・何一つ正解が無く、「これが本当に正しい選択なのだろうか?」と見送る側は常に不安がつきまといます。
結果から言いますと、ウォルティがスイスを発った2日後(日本に戻った翌日)に彼女は旅立ったわけで、「旅立とうにも旅立てなかった所に最愛の1人息子が見送りに来てくれて、最後の一時を水入らずで過ごし、彼が日本に戻る前にちゃんとお別れも言えて、思い残す事無く眠りにつけた」といった所でしょうか?いや、そう思いたい・・・行って正解だったんだ・・・。(しかし、なんとも凄いタイミング・・正に予想外でした。)
今回に限らず、8年前癌が発覚した時からこの日を迎えるまで、ウォルティは「母親との間に残された時間を有意義にしよう」と、こちらが感心する程、細心の注意を払ってまいりました。覚悟は出来ていたものの、いざこの時を迎えると、やはり、ぽっかり穴が空いた様な喪失感からは逃れられません。しかし、ベストは尽くしたので、後悔の念は無く、比較的静かに受け止められております。
・・・いつかは誰しも見送られる立場になるのだなあ・・・どちらにしても「たった今、同じ時を共有してる」という事は、実は「物凄い事」なんだなあ・・・
ローザさん、本当にお疲れ様でした。癌になってからだけでなく、ウォルティのお父さん亡くなってからの事も含めてずっとね。大事な1人息子を地球の裏側まで送り出して下さったあなたの勇気に乾杯!そして、こんな私を認めて信頼してくれてありがとうございました。今度こそゆっくりお休み下さいね。
しかし親戚の判断で「いよいよかもしれないから、今のうちに会っておいた方がよい」とウォルティが呼び出され、実は彼、仕事の合間を縫って、19日から5泊7日単身ひとっ飛びしてきてたのです。人の命・・・こればっかりは100%正確な予測はつかないので「今度こそ最後になるかもしれないお見送り」となんともはやな名目での出発でした。ウォルティが着く前に彼女が「その時」を迎えてしまうのか、向こうに居る間にそうなるのか、もしくは逆に、行って帰って来た後もしばらくお迎えが来ないのか・・・何一つ正解が無く、「これが本当に正しい選択なのだろうか?」と見送る側は常に不安がつきまといます。
結果から言いますと、ウォルティがスイスを発った2日後(日本に戻った翌日)に彼女は旅立ったわけで、「旅立とうにも旅立てなかった所に最愛の1人息子が見送りに来てくれて、最後の一時を水入らずで過ごし、彼が日本に戻る前にちゃんとお別れも言えて、思い残す事無く眠りにつけた」といった所でしょうか?いや、そう思いたい・・・行って正解だったんだ・・・。(しかし、なんとも凄いタイミング・・正に予想外でした。)
今回に限らず、8年前癌が発覚した時からこの日を迎えるまで、ウォルティは「母親との間に残された時間を有意義にしよう」と、こちらが感心する程、細心の注意を払ってまいりました。覚悟は出来ていたものの、いざこの時を迎えると、やはり、ぽっかり穴が空いた様な喪失感からは逃れられません。しかし、ベストは尽くしたので、後悔の念は無く、比較的静かに受け止められております。
・・・いつかは誰しも見送られる立場になるのだなあ・・・どちらにしても「たった今、同じ時を共有してる」という事は、実は「物凄い事」なんだなあ・・・
ローザさん、本当にお疲れ様でした。癌になってからだけでなく、ウォルティのお父さん亡くなってからの事も含めてずっとね。大事な1人息子を地球の裏側まで送り出して下さったあなたの勇気に乾杯!そして、こんな私を認めて信頼してくれてありがとうございました。今度こそゆっくりお休み下さいね。